諦め

汚染が激しい言葉委ねきること。本来の「観念」と同義。現代ではほぼ断念と混同されて用いられているが、全く別物である。

諦めることは非常に難しい。

一般に「諦めた」と言う人の99%は諦めていない。うち半数は悲しみに打ちひしがれるか自暴自棄になって不貞腐れ、残りの半数は自分を錯誤させて感情から目を背け開き直るか抑圧によって無関心に至るからである。

諦めの奥には真理がある。だからこそ、「言」に「帝」という非常に強い文字を連ねた漢字で表現された言葉になっている。仏教においては「諦」という自体が悟りや真理を意味する。

委ねきること」が真理を見極めた先に訪れることから、「明らかに見る=諦める」になったとされる説がある。

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