感じる

意識意志によって向け続けた感知の先に起こる感覚現象現象なので起こるものであって起こすことではない(自力ではなく他力)。「観ずる」と同義。

意志なく起こる感覚は、対象への解釈によって生じる衝動によって「浸る」へと移行する。

自力によって「感じよう、感じよう」とすることは、いわゆる「浸る」という状態を誘発する。感情に対して浸ろうとすると、イメージの暴走を引き起こす。イメージを暴走させることを「感じる」だと捉えている囚われが入っている場合には、暴走自体を好んだり(引力が発生する)、逆に忌避(嫌悪禁止)したりする。

これに対してただ感じることが起こるのを待つ、感じたものをただ感じることは「観察する」という状態である。観察はイメージの暴走を起こさない。

「感じること」は受信である。何かに対して感想を持つことではない。想念を浮かべることは発信することだからである。

物質世界だけでなく、精神世界にも「感じる」を起こすことはできる。これを内観と言う。

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