正論と等身大について

refでは大きく分けて2つの意味で「正論等身大」という対比を用いている。

1. 本人の主観的な思いにおける「理想と現実」の対比のこと。「建前本音」または[義務と欲]などと言い換えても良い。ある程度感覚がついてくると、対象に対する自分の中の正論等身大は同時に感じ分けることができるようになる。正論等身大の両方から本人の二極を特定することができるが、正論は他人の意見の受け売りであるケースも多く、特定の際には注意が必要である。ただし、その正論を自分のものとした理由自体に着目すれば、そこには根拠を見つけることができ、二極読み解く手がかりとなる。

2. 「真実と実感」との対比である。「地図と現在地」と言い換えることもある。実際の物事の動きと、本人の感覚にギャップが生じることは多々あり、根本まで遡(さかのぼ)ればこのギャップが人に苦しみをもたらしていると言うこともできる。

1の意味で正論等身大の感じ分けができないと、正論に偏れば無自覚に肉体・精神面で負荷が過剰にかかり、病気や怪我に繋がることがある。逆に等身大に偏ると囚われから抜けることができない。

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