コミュニケーションの達人になる方法

フリートーク

from.

先日書いた記事ですが、大切なテーマが2つ絡んだ内容だったので、記事を二つに分けることにしました。(分かりづらかった方も多いかと思います。すみませんでした。)今回は1つ目の「意味の揺らぎ」についてです。「わかる」についてはまた後日記載します。

こんにちは、Jayです。

セッションをしていると毎日、
多くのことに気づかせてもらいます。

本当に「役得だなぁ」と感じます。
ありがたいことです。

今日はその気づきの中から、

「言葉と意味の揺らぎ」

について紹介したいと思います。

今回の内容は、少し抽象度が高めです。
(つまり少し退屈です。笑)

が、知っているとそれだけで

コミュニケーションの次元が変わる

くらい、重要度の高い内容です。

なるべく噛み砕いてお伝えするので、
ぜひ理解を深めてみてください。

言葉の持つ「意味の揺らぎ」

言葉には、1つ1つ意味があります。
そして、それぞれに意味が違います。

だから相手の話が分かりますし、
自分が伝えたいことを相手に
届けることができるワケです。

そして、その土台になっているのは

「相手と自分の言葉が共通の意味を持つ」

と言う前提です。

私が「りんご」と言えば、
あなたも「あぁ、りんごね」とわかる。

二人の頭には、共通の赤い果物が
連想されている。

この当たり前すぎる前提が、
実は盲点になります。

なぜなら、

言葉の意味には「揺らぎ」が存在する

からです。

「揺らぎ」が存在するとは、
「意味が揺れる」ということ。

つまり、同じ言葉を使っていても、
揺らぎの状態によっては

「意思疎通が起こらない」

ことがあると言うことです。

2種類の「意味の揺らぎ」

言葉が持つ「意味の揺らぎ」には
大きく2種類の揺らぎがあります。

それは、

・客観的揺らぎ
・主観的揺らぎ

この2つの揺らぎです。

先にざっくりお伝えすると、

「客観的揺らぎ」とは

言葉自体の持つ意味範囲

のことです。

それに対し「主観的揺らぎ」は、

当人同士によって
言葉が持つ意味が異なる

と言うことを指します。

それぞれ詳しく説明しますから、
今はなんとなくで大丈夫です。

特に今日のテーマとなるのは、
2つ目の主観的な意味の揺らぎです。

まずは、「揺らぎ」の意味について
ざっとお伝えするために、

「客観的揺らぎ」からお伝えします。

「客観的揺らぎ」とは

「客観的揺らぎ」については、
比較的理解がしやすいです。

アメリカ人と言ったら多くの人をさしますが、
マイケル・ジャクソンと言ったら、
ほぼ同じ人を連想しますね。

そんな感じで言葉によって、
意味の持つ範囲が

広いもの、
狭いもの、

そして意味の境界線が

ハッキリなもの、
曖昧なもの、

そんな分かれ方があります。

揺らぎの広い / 狭い

これも簡単。
特に分かりやすいのは、

「地名」です。

例えば、日本。
47都道府県、全てをさす言葉。
つまり、「揺らぎが広い」です。

これに対して東京都。これで、
かなり「揺らぎ」が狭くなりました。

でも例えば、

「明日、東京都で待ち合わせしよう」

とは言いません。

待ち合わせをする目的だと
まだかなり「揺らぎ」が広くて、

どこで会えばいいのか、
明確には分からないからです。

東京都中野区。
これでもまだ広いですね。

人と人が出会おうとするなら、

「JR中野駅南口」

これくらいまで
「揺らぎ」を狭くしなければ、

確実な待ち合わせはできないでしょう。

このように、揺らぎの広さによって、
人が想像できる範囲が広がったり、
狭まったりすると言うことです。

揺らぎの境界線

もう少し、深掘りします。

「JR中野駅南口」で、どうして
人は待ち合わせができるのか?

それは、

「JR中野駅南口」

と言う言葉が持つ意味の
揺らぎの「境界線」が、
かなりハッキリとしているからです。

地名や場所を指す言葉の
「意味の揺らぎ」が曖昧だと、

人によって思うものが
変わってしまう可能性があります。

だからこそ、境界線をハッキリと
させることで、誤解を防ぐのですね。

それに対して、
例えば、青という色。

「明日、青いスーツで待ってるね」

と言われて待ち合わせの場所に行くと、

水色のスーツ、紺色のスーツ、
ブルーのスーツの3人が立っている。

これでは、どの3人か分かりません。

それは、「青」という言葉の境界線が
曖昧になっているからです。

ちなみに、昔の人は緑色も「青」として扱っていましたから、より境界が曖昧でした(青信号、青リンゴなどに名残がありますね)

普段当たり前のように使っている言葉ですが、

このように言葉の「意味の揺らぎ」の
広さや、境界線の曖昧さを意識してみると、

私たちは本当に繊細なやり取りを
ごく自然にしていると分かります。

しかし。

本当の意味で会話を複雑するのは、
次にお伝えする

「主観的揺らぎ」

によるところが非常に大きいのです。

「主観的揺らぎ」とは

「主観的揺らぎ」については
少し分かりづらいので、

具体例の前に例え話をします。

人は皆、自分の中に自分だけの
オリジナル辞書を持っています。

これは、目に見える辞書ではありません。
自分の頭の中だけにあるものです。

そして、会話をするときには、
その自分の辞書から言葉を使います。

わざわざ物理的に広辞苑を持って、

「ちょっと待ってね…」

と言って正しい辞書的な言葉で
会話をしようとする人はいません。

皆、頭の中の辞書を使うからです。

そして実は、

このオリジナル辞書の言葉たちは
それぞれが人によって微妙に、
ときに「非常に」意味が異なります。

ですが、当の本人は自分の辞書を引くので、
その違いに気づかないのです。

日本では学校教育の普及によって、
「揺らぎ」の矯正が試みられています。

それでも。

一般的な人が意識している以上に、
この「揺らぎ」の影響は大きいです。

多くの人は「正解」しか意識しない

別に人々が言葉の意味を無秩序に使っているということではありません。

それでは、会話が成立しません。

むしろ、

「この単語は正しいのだろうか」

という意識をする人は多いと思います。

例えば、新人が仕事で取引先に、
急に慣れない文面を送る場合。

多くの人がスマホで検索したり、
先輩に内容を確認するでしょう。

「自分の使う言葉は正しいのだろうか」

実はこれは、よく意識される内容なのです。

この「揺らぎ」の存在を利用して、「知っているようで知らない日本語」のように、実際の意味と一般に普及してしまった言葉の意味の差を指摘する本がヒットしたりしています。

ですが、日常会話をしているときに、

「相手と自分の辞書の一致度」

を意識している人は、
果たしてどれほどいるでしょうか。

「相手の辞書を意識する」

コミュニケーションの達人に
なるためのテクニックとして

相手の辞書を意識する」

という非常に有効な方法があります。

この方法自体をお伝えするよりも、
「意識しないと起こること」
の説明の方がわかりやすいので、

以下に2例挙げてみようと思います。

ケース1:顧客 vs. 店員

客「カフェラテのLください」

店員「当店にLサイズはございません。
トールでしょうか?グランデでしょうか?」

客「トール?グランデ???
とにかく大きいのが良いんですけど…」

店員「では、ベンティでご用意しますね」

客「・・・でかっ!!!」

店員「(自分が大きいの良いって言ったんじゃん・・・)」

注意:トール、グランデ、ベンティは全て飲み物のサイズを表します。ベンティが一番大きいサイズだと思ってください。

このやり取りは、よく見かけます。笑

そして「この店員は不親切だ」と
感じる方も多いはずです。

このやり取り、これが実は

「相手の辞書を意識していない」

と言う場合に起こる
やり取りの代表例です。

顧客と店員のやり取りでは、
まず間違いなく

「辞書の差」

が生まれます。

なぜなら、毎日働いている店員と、
たまにしか利用しない顧客の間には、

明確に「商品知識」の差が
生まれるからです。

店員にとっては、トールやグランデの
サイズ感がリアルに感じられる。

それに対して、顧客はより一般的な
「L」という単語を使う。

店員の側もさすがに
「L = 大きい」
という理解はできた。

しかし、「大きい」というほど、
本人の主観に左右される言葉はありません。

本人の中でも気分によって求める大きさは変わっちゃいますしね。

ここで店員は「大きい」という
言葉だけに引っ張られて、

文字通り最も大きなサイズを提供。

しかし、顧客にとって、
このサイズは「大きすぎた」のです。

もしもこの店員さんが

「相手の辞書を意識する」

という前提に立っていれば、

「相手の求めるLはどの程度の大きさなのか?」

と言う疑問を思い浮かべることができます。

例えば、実際にカップを出して、
「どのサイズがよろしいですか?」

と聞くことで、このすれ違いは
確実に回避できたでしょう。

自分の知識は「当たり前」ではない

働く業界や所属している環境で、
たくさん利用される言葉は、
一般的にどんどん細かくなります。

その差異によって
「情報格差」が生まれます。

例えばパソコン。

OS、CPU、メモリ、

これらの違い、
「ちんぷんかんぷん」な人が
ほとんどだと思います。

ですから、誤解や「言い間違い」も生まれやすい。

この格差を意識したり、

「相手が別の単語のことを言いたいのではないか」

という想定ができる人は、
間違いなく気配りのレベルが上がります

相手とのコミュニケーションが格段に
スムーズになるでしょう。

ケース2:日常会話

実は日常会話の中にも、

「辞書の差」

は常に現れる可能性があります。

これが喧嘩やトラブルの発端
ということも珍しくありません。

その中でも特にすれ違いが
「起こりやすい単語」を
1つご紹介しましょう。

それが「わかった」です。

「わかった」は「わかってない」?

私たちは「わかった」という言葉に
安心を覚えやすい生き物です。

それは、伝えている当人の

「伝えたい」

という思いが果たされたという、

「ミッション完了」

を意味する言葉だからです。

本来「わかる」という言葉、

客観的意味の揺らぎ:
意味範囲:広い
 境界線:曖昧(ほぼ主観)

という非常に厄介な単語。

であれば、めちゃくちゃに
確認が必要な言葉
なのです。

しかし、私たちの

「わかって欲しい」

という想いが、確認を
おろそかにしてしまいます。

しかも、この「わかった」は、
意味の揺らぎのブレも激しい。

例えば、言葉の意味を理解しただけで
「わかった」と言ってしまう人もいれば、

自分が行動する前提で聞いて、
「できる」と確信するまでは
「わかった」と言わない人もいます。

「わかる」については大切な内容が多いため別記事に分けました。こちらからどうぞ
>>誤解の多い「わかる」について(執筆中)

この二人が会話したら、
以下のような悲劇も起こります。

上司「昨日の資料、わかったか?」
部下「はい、わかりました。」
上司「じゃあ、任せたぞ」
部下「はい!」

・・・数日後。

上司「おい!こないだの資料、
 仕上がってないじゃないか!!!」

部下「すみません、やってみたら
 意外と手こずってしまって…」

上司「お前、わかったって
 言ったじゃないか!」

部下「あの時はわかったんですけど、
 実際にやってみると…」

上司「そんなわかるがあるか!!
 わかるって言うのはな、
 できることを言うんだ!」

部下「すみませんでした…」

。。。これは悲しい事態ですね。

上司は、部下に対して

「相手の辞書を意識する」

ことができませんでした。

(部下も上司の辞書を理解していませんが)

そしてここが重要なのですが、
残念ながら人間は、

自分の辞書の意味を意識的に書き換えるのが非常に不得意

な生き物なんです。ついつい、
普段の癖に引っ張られる。

ですから、この部下はおそらく、

今後もつい頭で理解しただけで、
「わかった」と言う癖を
続けてしまう可能性が高い。

なぜなら、別に当人からすると、
嘘をついた訳ではないからです。

本人の中では、本当に「わかった」なのです。

では、どうすれば良かったのか。

この場合であれば、上司の側が
「部下のわかった=理解した」
であることを配慮して、

「何も聞かずにできそうか?」

など、「言葉を変えて」聞くことで、
ミス・コミュニケーションの確率を
下げることができるでしょう。

逆に、部下が優秀であれば、
上司の「わかった」を察して

「頭ではわかったのですが、
 やるとなると自信がありません」

など、相手の「わかった」が
自分と違う可能性に配慮した
発信をすることもできます。
(そんな部下の出世は時間の問題でしょうね)

いずれにせよ、当人たちのどちらかにでも

「相手の辞書を意識する」

という習慣が身についていれば、
防げた悲劇に違いありません。

コミュニケーションとは相手に「伝わる」こと

雰囲気やノリを楽しむような
雑談であれば問題ありませんが、

多くのコミュニケーションは
「意思の疎通」を目的とします。

疎通とは「伝わる」こと。
「伝える」ことではありません。

相手に「伝わる」ためには、
相手の言語を知る必要があります。

例えば、日本人と外国人が会話すれば、
「言葉が違う前提」がお互いあって、

「伝わったのか?」を常に意識して
会話することができるでしょう。

しかし、これが同じ日本人となると、
私たちは、ついつい

「相手の辞書を意識する」

ことを忘れてしまいます。

そして、結果的には双方が
残念な想いをする羽目になる。

相手の辞書への意識は、
慣れてくれば当たり前に
できるようになります。

ぜひ、今日からの会話では

相手の辞書を意識する

ことを実践してみてください。

refで「揺らぎ」の理解は必須

ちなみになんで突然、

こんなに専門的な内容を
ブログにあげたのか。

それは、refを実際に行う上で、

「揺らぎ」を意識することが
とても大切だからです。

セッションで最も大切なのは

「相手の価値観を理解する」

と言うことです。

(これは、セッションをする側、受ける側の両方に必要な視点です。)

そのために必要なのは、
相手の話を理解すること。

「自分の辞書」で相手の内容を
理解した「つもり」になっても、

実はそれがズレていると、
お互いの話が食い違います。

話が食い違っていては、
価値観から抜け出ることは
もちろん難しくなりますね。

ですから、refを受けたり行う際、

「相手の辞書を意識する」

これを心がけると、

それだけでセッションの質が
「グン」と上がりますよ!

今日はここまでです。
それではまた!

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