【必読】絶対に揺るがない自信の持ち方

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こんにちは、Jayです。

今日のテーマは「自信」です。

あなたは、自分に自信がありますか?

「はい、あります!」

と100%腹の底から言える人は、幸せですね。

「私、自分に自信がなくて…」
と悩む方はとても多いです。

私自身のクライアントさんにも、
とてもたくさんいらっしゃいます。

そして、そんな方々に対して、
私が必ず話す内容があります。

今日はその話を書こうと思います。

なぜなら、多くの人は
自信について2つの誤解があり、

「自信が持てなくて当然」

の状態になっているからです。

自信って、

自分を信じること

だと思っていませんか?

そんなあなたは要注意です。

そもそも自信って、
知りさえすれば

誰でも身につけられるもの

です。

もちろん、あなたも。

自信がなくて悩む方には
必ず知っておいて欲しい内容です。

ぜひ何度も読んで、
実践に繋げてくださいね。

自信ってなに?

そもそも、多くの人が悩む「自信」って何なんでしょう?

なぜ自信が欲しいのでしょうか?

自信がないと、行動にどうしてもブレーキがかかる感じがします。
物事に、つい躊躇してしまう状態です。

行動できても、自信がないから、
何だか中途半端な感じ。

そう言う意味で、自信とは
物事を躊躇せずに推し進められる力
と言い換えることができそうですね。

なぜ躊躇してしまうのか?

では、行動にブレーキがかかってしまうのはなぜでしょうか。

それは、不安があるからです。

自信がない時って、
何だか不安な気がするんですよね。

不安があるから、動けない。

おばけ屋敷を堂々と歩けないのと同じですね。

その不安の原因を全て払拭できれば、苦労はないのですが。

なかなかそうは行きません。

ですが、

「不安を全て吹き飛ばす方法」

はあります。

それは、

「信じきること」

です。

「信じきる」という状態

信じきるって、どんな状態でしょうか。

身近にわかりやすいのは、「呼吸」です。

私たちは、無意識に呼吸しますね。
健康な状態で、呼吸に不安を持つ人は少ないでしょう。

それはなぜか?

空気中に酸素があると、
「信じきっている」からです。

もし仮に、

「この先の空気には、酸素がない空気が所々あります。」

と言われたら、慎重に息を吸いますね。笑

いや、むしろ

「そんなわけない」

と言って、その言葉を信じない人の方が多いかもしれません。

それくらい、呼吸ができることを
「信じきっている」のです。

だから、不安もないのです。

どうすれば信じ切れる?

つまり、信じきれさえすれば、
不安はなくなるわけです。

しかし、そうは言っても
それがなかなか難しい。

なぜでしょうか?

それは、ほぼ100%の人が

自信の意味を

「自分を信じること」

だと思っているからです。

これが実は第1の誤解です。

自信は「自分を信じること」ではない

自信とは「自分を信じること」だと思う人が、
自信を持つためにとる行動。

それは、自分自身が

「信じるに足る人物になる」

ことです。

「こんな自分なんて信じられない」
「だから、信じられる自分になる」

という理屈ですね。

どうすれば信じるに足る人物になれるかについては、人それぞれです。

地位、能力、実績、人脈、努力…

いずれにせよ、自分が「これが原因で自分を信じられない」と言う点を克服しようとします。

しかし残念ながらこれは自信ではないです。

どれだけ自分の欠点を克服しても、
逆に強みを強化していったとしても、
自信は持てないのです。

この記事はあくまで弱点の克服、強みの強化が「自信には繋がらない」ことが伝えたいことなので、それが無意味だということではない点に注意してください。

これはいわば、
自信の「」を追いかけている状態です。

自信にみえた「幻」の正体

多くの人が自信を持つために必死で克服し、
身につけようとするものの正体。

それは自信ではなく「自負」です。

自負とは言いかえれば「後ろ盾」のことです。

「虎の威を借る狐」のことわざで言う
「虎」のことですね。

この「自負」がなかなかに厄介で、
自信が持てるどころか、

実はあなたに「2つの苦しみ」を
もたらしてしまう危険性があるのです。

自負による第1の危険性

まず自負を持った場合、

あなたが信じているのは
あくまでも「後ろ盾」であって、
自分ではないです。

むしろ、後ろ盾がない自分を想像すると
より「ちっぽけ」に見えて、
心の奥底での自信はむしろ減っていきます。

つまり、根本にあった

「自分を信じられない」

という問題は解決していないのです。

自負による第2の危険性

確かに自負であっても、手に入れたことにより
克服したかった点に対する不安を感じなくなります。

しかし、この不安を感じないこと自体が
実は厄介で、、、

その安心感から、自負が手放せなくなる

先ほど書いた通り、
後ろ盾がない自分がより怖くなる。

「地位がなくなったら、皆いなくなってしまうのではないか」
「実力がない自分なんて価値がないんじゃないか」

そんな恐怖が、無意識にあなたを自負に固執させます。

せっかく不安を感じなくなっても、
次は「盾を失うのではないかと言う不安」が、
あなたを襲うのです。

結局、感じなくなった不安の代わりに
今度は別の不安がついてきて、
不安は消えてくれないのです。

また、自負には人を尊大や傲慢にさせてしまう欠点もあります。
偉そうな振る舞い、他人を下に見る態度など…
たまに「自信がある人は嫌い」と言う方がいますが、それは「自負がある人が嫌い」である可能性が高いです。
なぜなら、本当の自信はむしろ人を謙虚にさせるからです。

「自信」の本当の意味

「自負は自信ではない」とすると、
本当の自信とは一体なんでしょうか?

それは、文字通り

「自ら信じる」

ということです。

言い換えれば自信とは、

「自分を信じる」ではなく、
「自分信じる」になります。

「自分が」は省略しても一緒で、
ただ単に信じると意味は同じ。

信じること

実はこれが、
本当の自信の正体です。

「信じる」とは何か?

自信の正体は信じること。

では、信じるとはなんでしょうか?

ここに第2の誤解があります。

「信じる」についての誤解です。

先に結論から書いてしまうと、

信じるとは「決める」ことです。

決めるというのは、
「決めつけること」です。

決めつけるのですから、

決めるために必要な証拠や、
科学的な根拠は必要ありません

根拠があるのであれば、
それは「決める」ではなく

決まる」です。

疑いようのない事実が示されれば、
自動的に決まってしまうのです。

そこには信じる余地はありません。

信じることに根拠は必要ない

つまり「信じる」とは、

根拠なく決めつけること

ということになります。

世間一般に、

「証拠や確証があるから信じられる」

という風潮があります。

「信じるに足る証拠」

という言葉もありますね。

しかしそれらはいずれも、

「信じる」に対する誤解

による矛盾した表現です。

証拠や論拠、事実に頼り、
それに従っているのであって、
信じてはいません。

これは「信じる」ではなく、
「疑えない」と言います。

「疑えない」と「信じる」は全く別物

疑うと信じるは反対の言葉として
扱われるやすいです。

ですから、

疑えない=信じる

勘違いが起こります。

しかしそれらは全くの別物で、
むしろ疑っているからこそ、

「疑えない」ものしか選ばないのです。

つまり、信じていないのです。

「信じる」とは、

証拠によった確かな事実と不確定な物事を「決めて」結びつけるための勇気あるジャンプ

なのです。

科学信奉主義の致命的欠点

科学では、実験結果が99.9999%以上正しいとき、それを科学的事実と認定すると言う決まりがあるそうです。

科学が発達すればするほど、
疑えない領域」が増えます。

するとそれを利用する私たちは、
ほとんど何も信じることなく
生活を営むことになります。

世の中には

「科学で証明された物事しか信じない」

という人がいますが、
それは言い換えると、

0.0001%しか信じるジャンプをしない

ということになります。

信じるとは決めることですから、
裏を返せば、

物事をほぼ100%自分で決めない

ことを宣言するわけですね。

現代は「決めない」社会

現代社会は、科学信奉主義です。

信奉とは書きますが、
つまりこれは

・ほぼ何も信じない
・ほぼ何も決めない

ということです。
(つまり何も信奉してません)

決まったことに従うだけ。

決まったことを記憶し、
そこから答えが「決まり」
それ通りに動く。

プログラミングのようなものです。

このような立場を懐疑主義とも言いますね。

つまり、私たちのほとんどは、
特殊環境に生活しない限り、

決めること、信じることに
全く慣れていません。

ですから、普通に生きていて、
根拠なしに信じられないのは
ある意味で「当たり前」です。

信じられなくて当然

これが、私たちが生活する現代です。

現代社会で自信がない人が増えるのは、
自然の摂理通りというわけですね。

自信を持つための秘訣

そんな現代に生きる私たちが、自信を持つためには一体どうしたら良いのでしょうか。

繰り返しになりますが、

何かを信じるために
証拠は要りません。

証拠なく決められる範囲だけが、
あなたが自信を持てる範囲
です。

逆手に取れば、

「根拠なく決める」

という行動を繰り返すことで、
あなたの「決める力=自信」は
徐々に増していきます。

根拠なく信じられるのですから、
どんな人生の荒波が来てもへっちゃら。

これが本当の「自信」です。

そして、信じ切った領域には、
100%が存在します。

客観的事実には、
100%は存在しません。

ですから、実績など何か客観的な側面に頼る自負は100%には決してなりません。だから不安が消えないのです。

しかし、自ら信じ切れる人は、
100%不安を消し去ることができます。

これが、「絶対に揺るがない」
という領域です。

揺るぎなき自信とは言いますが、
揺るぎなき自負とは言いません。

科学・根拠だけに頼り続ける限り、
本当の自信はつきません。

昔の人々が決める力が強いのは、
日本の文化に信仰があったからですね。

ですから、何があっても頑張って
生き抜くサバイバル力があった。
(その分、決めつけや偏見も横行しましたが)

科学や証拠が悪いのではありません。
そういうものに「頼り切る」ことが、
バランスを欠くということです。

「これだ!」とあなたが決めるために、
人のアドバイスは要らないのです。

自信を持つために必要なのは、
あなたの「決断力」です。

決断力は、根拠なく物事を決める習慣によって向上させることができる

誰にでも習得可能なスキル」です。

ただし、日々の行動によって徐々についていくものである点が、もしかするとイメージとは多少異なるかもしれません。

ぜひ「決める力」を付けて行き、
あなたの信じる力を磨くことで、

自信を以ってイキイキと人生を送れるようになっていきたいですね(^^)

今日はここまでです。

それではまた!

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