ステーキをスプーンで切ると…

フリートーク

from.

こんにちは、Jayです。

今日のテーマは、とてもシンプル。

それは、

感じることと分類することは別物

です。

この「感じる」と「分類する」は、
本当に多くの人が混同させています。

「分類する」とは「分ける」ことです。なので、この「分類する」は「分かる」と言葉を換えても良いです。「感じることと分かることは別物」ということです。

案外と盲点になりやすいようです。

あなたはこの2つが、
明確に区別できていますか?

勘違いしていると思わぬところで、
つまづいてしまうかもしれません。

ぜひこの記事を読んで、
区別できているかどうかを
チェックしてみてください。

感じると分類するの違い

例えとして分かりやすいのは、

モノの色。

なんでも良いのですが、

例えば

メロンは緑色」としましょう。

今回はまだ切っていない、丸ごとのメロンということにします。

この中には、明確に分類があります。

それは、メロンという果物を、
「緑色」のジャンルに分類した
という点です。

確かに、

「リンゴは赤く、
 メロンは緑である」

という比較をしたとき、

この中には

色を「感じる」

という経験が部分的に
含まれてはいます。

しかし、

「赤と緑」という
ラベルを貼った瞬間に、

メロンの色は「緑」だという程度までしか
メロンの色を繊細に感じることが
できなくなってしまいました。

今の部分が今日の記事の全てです。

メロンは緑色であると分類した瞬間、
メロンが「緑色」という色一色に
塗られてしまったことになるのです。

メロンを実際に見てもらうと
わかるのですが、

いわゆる「緑」の部分、
とても少ないです。

黄色のような部分も多いですし、
白みがかったところもあります。

同じ緑でも、黄緑のような部分もあれば、
エメラルド・グリーンのような部分もあれば、

本当に様々な緑がメロンの中に
潜んでいることに気づきます。

しかし、「メロンは緑である」
という風に分類した瞬間から、

「緑である部分以外の特徴」を
感じることをストップさせてしまう

「緑」の中に潜む様々な
緑色のバリエーションが
一律に捉えられてしまう

ことに気づいてください。

ものを「定義」した瞬間に、

その定義と定義の間の、
微細な特徴は「無視」されます。

その代わり、分類することによって、
特徴の1部を「捉えることができる」
ようになる利点もあります。

分類が悪いのではありません。
感じるとは用途が違うのです。

感じる」は対象を「知る」ための手段

分類」は対象を「捉える」ための手段

両者は別物であり、

「知る」ために「分類」してみたり、
「捉える」ために「感じて」みたり、

そんな風に目的と手段を間違えると、
おかしなことが起こります。

プリンをナイフで食べ、
ステーキをスプーンで切るようなものです。

なかなかうまく行かないですね。

でも、だからと言って
できないこともないわけです。

ここが結構重要で、

できないこともないからこそ、
無理矢理にやり続けることができる

ということです。言い方を変えるなら、
クセが直りづらいとも言えます。

多くの人が、大人になっても、

知るために分類してみたり、
捉えるために知ろうとしたり、

実際にそんなことをして、
悪戦苦闘しています。

挙句の果てに、場合によっては
「私は頭が悪い」とか、
そんな劣等感まで抱えてしまいます。

そんな人は無意識に、

「他の人は自分と同様の方法で、
 すごい効果を出している」

と思い込んでしまうのです。

頭の中で何をしているかは、
外から見えませんからね。

あなたが他の人と比べて、

「どうも結果が出せない…」

と苦手意識を持っていることがあれば、

もしかしたら実は他の人は、

「あなたとは違う方法を使っている」

かもしれません。

今回の「感じる」と「分類する」は、
まさにそのケースの典型です。

そんな「思い込み」を
自分の中から手放す秘訣は、

「他の人がどう考えているのか」

について

徹底的にコミュニケーションをとる

です。

そしてその際には、

相手の辞書を意識する

ことが、お互いの「思い込みの壁」を
越える必要条件になります。

「相手の辞書を意識する」について分からない方は、以前に書いたこちらを読んでみてください。
>>コミュニケーションの達人になる方法

自分の中の感覚の混同を整理し、

不必要な「つまずき」を解消しましょう!

今日は以上です。
それではまた!

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