続・2022年のテーマ

フリートーク

from.

こんにちは、Jayです。

今日は前回に続き「確信」についてです。

まずは前回の記事を読みたい、
もしくは復習したい方はこちらからどうぞ。
>>2022年のテーマ

前回は「確信」がもたらす世界の変容と、
その詳細についてお伝えしました。

そして記事の最後に、確信の最重要ポイント
五感」であるとお伝えしました。

今回はその「五感」について書きます。

予想をさらに上回る、
かなり膨大な記事になってしまいました。

refからの新春福袋だということで、
じっくりとお読みください。

前回の記事の最後で
確信のキーが「五感」だと判明し、

その反応は大きく3つに分かれるかな
と私は予想しています。

まず「五感ってなんだっけ?」という方。

そもそもの「五感とは何か?」から
丁寧に解説していきますので、

どうぞ安心して記事を読み進めてください。

次に「わざわざ五感ですか?」と思う方。

あなたは「絶対に」この記事を読んだ方が良いです。

五感と聞いて「ふーん」と思った方や、何も思わなかった方も、これに当たります。

もし五感を「わざわざ」と思うのであれば、
100%、五感について理解していない証拠です。

どちらかと言えば、誤った理解が起こっている
可能性の方が高いと思います。

実践から「五感」を掴むのが理想ですが、
記事だけでも誤解の認識や理解に役立つので

熟読することを敢えてオススメします。

最後に「やっぱり五感かぁ」と思った方。

この方は、五感について体感があるか、
知識として識っている方に分かれると思います。

体感がある方については、この記事が
体感の整理と理解に役立てばと思います。

知識として識っていた方は、

この記事を頼りに自らの感覚とその知識を
リンクさせることを意識すると、

知識が血肉になっていくかと思います。

それでは、行きましょう。

五感とは何か

五感の基本

まずは、「五感」とは何かを識(し)りましょう。

五感は、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の「五覚」によって生まれます。

正確には五覚と縁の交わりによって生まれた心理現象が五感ですが、一旦「五覚」で大丈夫です。

この五覚が発現(はつげん)するには、

それぞれに、

・視(み)る
・聴(き)く
・嗅(か)ぐ
・味(あじ)わう
・触(さわ)る

という「心の状態」を通る必要があります。

ここが1つ目のポイントです。

「五覚の発現」は「心の状態」です。
「動作」ではありません。

例えば「触る」について、

自ら動いて触りにいかなくても、
服が触れている感触などを知ることができます。

もしあなたが今上半身に服を着ているとしたら、
試しに肩を感じてみてください。

服が触れているのが分かりますか?

分からないようであれば、ぜひ1度ref Academyの「意識のワーク」を受けてみてください。

先ほどまで感じなかった服を、今は感じる。

これって不思議じゃないですか?

だって、さっきまでは脱いでいて、
今着たわけではないですよね、服?

なのに、感じたり感じなかったりする。

「感じる」というのは、動作ではなく、
「心の状態」によって発現するものだからです。

これが、「五覚(五感)は心の状態が生む」ということです。

次に進みましょう。

人間において、
この「五覚」が発現する身体部位を、

視る→「目」
聴く→「耳」
嗅ぐ→「鼻」
味わう→「舌」
触る→「皮膚(身)」

とそれぞれに呼びます。

この五つの部位に「意識が当たるか」で、
五覚の発現の可否が決まってきます。

なぜ「意識が当たるか」が重要なのかですが、

例えば死んでしまった身体に物を当てても、
触覚は生まれません(多分)。

逆に言えば、意識が生まれることを以て
「生きている」と定義できるとも言えますね。

多分と書いたのは、私は「死んでいる」と他者から判定されたことがない(もしくは、自ら「死んでいる」という状態であると認識したことがない)ので、その時本当に意識が生まれていないのか?については書きようがないからです。

意識が当たった部位に存在する「覚」で、
人間は感じます。

例えば、膝(ひざ)には目がないので、
膝で「視る」ことはできません。

膝は「触覚」しかないので、
膝は「触れる部位」です。

そこに何が生じるのかというと、
それぞれに、

視覚→「色(いろ)」
聴覚→「音(おと)」
嗅覚→「香(かお)り」
味覚→「味(あじ)」
触覚→「感触(かんしょく)」

という「感覚」です。

これらの感覚を、「五感」と呼びます。

五感に関する誤解

五感に関しては「本当」に誤解の多い領域です。

代表的な誤解について、
この記事の中で挙げていきます。

もし1つでも誤解が解けたなら、
あなたの世界は一気に広がりますよ。

それぞれの感覚への誤解

まずは、五つの感覚1つ1つについて、
起こりやすい誤解についてです。

挙げるとキリがないほどあるので、
今回は代表して2つだけ挙げてみます。

目が視るのは「物」ではない

まずは多くの人にとって、
非常に重要な「目」から行きましょう。

先ほど書いた通り、
目で感じるのは「色」です。

正確には「色だけ」です。

物を感じるのではありません。

形でもありません。

「色」です。

まず「物」についてですが、

「物」とは世界から特定の色の領域や
その集合を「切り取った対象」を指します。

もしあなたの目が「モノ」を見ているのなら、
その「モノ」の背景や周りは見えませんね。

でも、それらも見えているはずです。

それはなぜか?

目が見ているのが、
物ではなく色だからです。

次に「形」についてですが、

形とは、色の「差異」によって
切り取られた「物」の輪郭です。

物に輪郭が「存在する」のであれば、
世界は漫画のように見えるでしょう。

有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの
「モナ・リザ」という絵をご存知ですか?

敢えて絵の「輪郭をボカす」という画法で
リアルな絵画が仕上がっています。

世界には輪郭が存在しないので、
輪郭を描かない絵がリアルに見えるのですね。

ぜひ、あなたの目が本来見ているのは
「色である」ことを確かめてください。

一般に言う「あじ」は味ではない

次に、これもまた「誤解の温床」である
「味と呼ばれる世界」についてです。

つまり「食べ物」ですね。

食べ物は、口を通して食べます。

栄養は口を通す必要はありません。
点滴が良い例ですね。

ですが、味を楽しもうと思えば、
口を通します。

そして、口を食べ物が通るとき、

3つの感覚が混ざり合い生じます。

嗅覚、味覚、触覚です。

まず嗅覚ですが、

鼻をつまんで食べ物を食べると、
急に感覚が薄れた感じがしませんか?

そのときに失われたものが、
嗅覚から生じた世界です。

もしくは、またつまんだ手を外すと、
急に世界がブワっと広がる。

そのときに広がったのが、
嗅覚から生じた世界です。

次に触覚ですが、

口は身であり、舌もまた身です。

例えば「舌触り」と呼ばれるもの、
これは完全に触覚です。

ジューシーさ。これもまた触覚。

歯ごたえ。これも触覚ですね。

熱々のスープ。これも触覚。

唐辛子などの辛味について、

辛さ自体は味覚ですが、
ヒリヒリするのは触覚です。

この触覚と先ほどの嗅覚、
これらではないものが「味」です。

例えば、塩や砂糖を舐めてみる。

すると、ザラザラ感は同じですが、
舌に違う刺激が生じます。

これが純粋に近い「味覚」です。

人によっては、「味」と思いつつ、
ほぼ「香り」や「食感」によって

食べ物を認識したり、
好みを決めたりしています。

それらは「味」ではありません。

自分が「何の感覚」を感じているのか?

ここに目を向けるだけでも、
あなたの五感は研ぎ澄まされます。

食べ物について、感じた刺激を
味覚・嗅覚・触覚に分解する

これは五感を鍛えていく上で、
オススメの訓練方法です。

食べ物の世界は、これらに加えて、見た目や音(肉を焼く音とか)も加えて入ってくるため、結局は「五感の全て」が集合します。
「食べ物」とは人が持つ五感覚の全てにアクセスできる多角的な刺激の集合体です。
だから、人は食べ物の世界に魅了されるわけです。

五感自体への誤解

次に、五感そのものへの誤解についてです。

五感ではないものを、五感だと認識している。

抽象化すれば、

「そうではないものを、それと認識している」

という状態は、とても危険です。

なぜなら、

世の中全般に人間同士は
「言語」を用いてやり取りをするので、

自分の中で誤解が際限なく蔓延していくからです。

恐ろしいですね。

その中でも、五感について
最も危険な誤解をお伝えします。

それは「解釈」を「五感」と認識することです。

五感と解釈は、全く別物です。

全く」別物です。

先ほどの誤解にあった、
「物」や「形」もその一例。

これらは全て解釈です。

音についても、

「言葉」は解釈。

香りについても、

「オレンジの香り」は解釈。

味についても、

「おいしい」は解釈。
「甘い」も解釈。

挙げればキリがありません。

感覚は以上の通り、
「解釈との混同の温床」です。

解釈が良い・悪いという話ではなく、

今回は「確信」に至るキーという
角度からの「五感」の定義先です。

その意味で、解釈は五感ではない。
解釈の延長線上に、確信はありません。

「確信」に至る五感とは何か

ここからは、なぜ「五感」が「確信」へと
繋がるのかを書いていきます。

例えば、あなたは今日誰かと会いましたか?

会ったと思い当たる人は誰でしょうか?

あなたはなぜ、その人と
「会った」と言えるのでしょうか?

それは「会った」と断言できるレベルですか?

例えばAさんと会ったとする。

でも、今日会ったと思っていたAさんは、
某スパイ映画みたいに実は

顔をビリビリビリっと破いたら、
マスクの下は別人かもしれません。

声が同じだった?

それも、変声機を使えばOKです。

そうなってくると、

「Aさんと会った」ということを
断言できなくなってきませんか?

それはなぜか。答えはシンプルで
「Aさんと会った」は解釈だからです。

「いや、それは映画の世界であって、
流石にそれはないでしょ」

「なんのためにそんなことするの?」

という発想に至った人は、要注意。

自分の納得を無意識に守ろうとする心は、
確信の世界への到達を妨げます。

例外はありません。

言い切れない可能性を含むなら、
それは言い切れないのです。

地球は丸いとは限らない

少し話題を変えましょう。

あなたは、地球が丸いと思いますか?

思うのであれば、
その根拠はなんでしょうか。

「なんでって、現代人なら常識でしょ」

この答えは、
確信という角度からは最低です。

確信という世界から
限りなく遠い答えだからです。

99%の人間にとって、
地球が丸いという認識は

「信じているから」が根拠です。

あなたが見たものは、

教科書で「これが地球」と
説明された写真かもしれませんし、

ニュースで見た映像かもしれません。

あるいは、誰かから「地球って丸いんだよ」
という言葉を聞いたのかもしれません。

いづれにせよ、

「地球が丸い」と断言できるのは、

現に「地球」と呼ばれるこの「地」から
宇宙に出るまでを五感として
目撃したことのある人だけです。

つまり、地球の外に出た人にしか、
地球が丸いという断言はできないのです。

そうではないのなら、それは
「信じている」ということです。

前澤さんは断言できるかもしれませんね。

ちなみに「信じる」というのは、
人間が持つ大変重要な機能です。

信じるチカラによって、人間は
自力独力の限界を超えて、

ここまで文化を発展させてきました。

ここでお伝えしているのは、
あくまでも「確信」です。

確信の根拠は、五感です。

今足をつけている地から目を離さず、
宇宙にまで出た時、

その地の全景が色として
「丸」と解釈できる色だったのなら。

あなたは「地球」と呼ばれるその地の
色の経験を、絶対に否定できません。

これが確信の世界です。

ちなみに一説には、ある国の調査で6人に1人が「地球が丸いと信じられない」という回答結果がもたらされたそうです。参考までに私は「地球は丸い」とガッツリ信じている派です。

話を戻しましょうか。

ですが、あなたが今日確かに見た

Aさんと解釈した「色」、
Aさんと話したと解釈した「音」、

これらは、五感に意識を当てた時、
断言に至ることができるものです。

否定のしようがない。

なぜなら、視たものは視たから。
聴いたものは聴いたからです。

「あるならある、ないならない」

これが「確信」の世界なのです。

百聞は一見にしかず

この「確信」について述べている
古来からの格言があります。

「百聞は一見にしかず」

これは、五感において、

聴覚より視覚の方が影響が大きいですよ

という意味ではありません。

「聞」とは言葉を指します。
「見」とは五感を指します。

つまり、100の伝聞解釈よりも、
1度の実体験が勝るということです。

確信に至るための秘訣

福袋の最後に、確信の世界へと至るための、
「指針」をプレゼントします。

それは、

「感覚を信じ、解釈を疑う」

ということです。

これは私の肌感でしかないですが、

自分の感覚を疑い、一方で
解釈を信じている人があまりに多い。

これでは、確信の世界からは
「どんどん遠ざかって」いきます。

信じるものが逆。
疑うものも逆です。

信じるのは、五感。
これは信じてあげてください。

そうすると、感覚はどんどんと
信頼に応えるように研ぎ澄まされます。

逆に、解釈の方は
どんどん疑ってください。

そうすれば、知見が拓けていきます。

どうかあなたの今年が、
幸多き一年になりますように。

今日はここまでです!
それではまたー!

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