「尽人事 待天命」Part.2

フリートーク

from.

こんにちは、Jayです。

本日の内容は、

「人事を尽くして 天命を待つ」
この故語に関する記事第二弾となります。

第一弾はこちらの記事です。関心ある方は以下からどうぞ。
>>「尽人事 待天命」Part.1

「人事を尽くし未来を切り開くこと」
「天命に行く末を委ねること」

この2つの動きは、パッと聞き矛盾するようですが、
「それらを両立させよ」というのが、

「尽人事 待天命」に込められた意味です。

なかなかに深い言葉ですよね。

しかし深いだけに、ニュアンスが掴みづらい。

その辺りを、前回に引き続き、
記事にしていこうと思います。

どんな物事であっても、
結果が100%確実であることはありません。

原則として「あり得ない」です。

つまりそれは、「尽くす」という言葉は、
「結果保証ではない」ということ。

結果=天命です。
人間に100%はありません。

ですから、その意味において、
文字通り「人事を尽くす」だけでいい。

「人事を天命から判断しない」

ここが大切です。

世の中を眺めてみると、

結果が出ないことを以てして、

逆算して「人事を尽くしてないんだな」
みたいな判断をよく見かける気がします。

でもこれは違います。
結果は「常に天命」です。

人事を尽くしたかは「人事を尽くしたか」で、
確認しなければなりません。

人事を尽くしても結果が出ないことはあります。

例え確実にコントロールできる「理論」が発見されても、
その理論を100%常に実践することは「不可能」です。

機械ですら無理。まして人間には絶対無理。

言い換えると、誰のせいでもない、
人事が尽くされたにもかかわらず
悪い結果が起こることは「ある」ということですね。

コロナに対する政府の動きとかも、
それにあたりやすいですかね。

発生源云々についてはさておき、

誰も出会ったことがない未曾有の災害なのは、
国民だろうが官僚だろうが同じです。

実際に政府の皆さんが人事を尽くしたのか?は
本人の胸中にのみあるのであって、

私も含め外野から知る由はありませんが、

少なくとも結果から逆算して
相手の「尽人事」を責めるのはお門違いです。

例え自分だとしても、結果からの逆算で
「不尽人事」だと決めつけては可哀想ですよ。

「リーダーだから、結果をコントロールし切る」

これは不可能です。無理難題です。

「リーダーなんだから、なんとかしろよ」

これは、間違いなくリーダーをやったことがない人か、
世界のルールを勘違いした人のどちらかです。

そんな風に思っている人は、
きっとその勘違い故に、

「自分はリーダーにはなれない」
「リーダーになんてなりたくない」

と思っているんじゃないでしょうか。

リーダーには、

人事を尽くす義務と、
天命と運命を共にする責任がある

ということであって、

結果を完全にコントロールする力は、
そもそもどんなに足掻いても持てません。

それはもはや「神仏の域」ですから。

もちろん、どんなに想定外な事象による
どんでん返しの結果が起ころうと、

「自分がこうすれば防げた」
「自分がこうすれば達成できた」

と原因を自分にみることによって、
今後の改善を見出すことはできます。

未来に向かうためなのであれば、
「自因」の発想は有効です。

ですが、

心が過去に向かい、「自責」の発想で
「あの時ああすれば・・・」

と後悔に苛まれるために自分にみるのは
大きく間違っています。

「わかる世界(理屈の世界)」と
「できる世界(実践の世界」は、

大きく異なっているのです。

何度も言いますが、

結果を100%コントロールすることは不可能

です。

「尽人事 待天命」

正しく理解し実践すれば、
一生を共にできる言葉です。

より理解を深めるために、まだ未読の方は
第一弾の記事もぜひ読んでみてください。
>>「尽人事 待天命」Part.1

深い言葉は、理解が難しい。
でも、腑に落とすと、強力だから深いんです。

1つ1つ、言葉の「妙」と出会い、
人生をアップグレードしていきましょう。

今日は以上です!
それではまたー。

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