refは解剖心理学です。

フリートーク

from.

こんにちは、Jayです。

私は、大学の頃からなんとなく
心理には興味がありました。

専攻は法律だったのですが。笑

で、心理学の授業とか、
教科書を見たりとか、

諸々やったのですが興味は持てず。

まだマーケティングの方が面白かった。

で、ずっとなんでかなーと
思っていたのですが。

最近ハッキリと、
言語化できるようになりました。

心理学は学問です。
現代の学問の土台は科学。

そして現代科学は、証拠主義です。

つまり、

誰から見ても「そうですね」という
疑えない事実だけが、
論立する上での根拠になります。

でも、心って。
「内側」のものですよね。

それが学問になるとどうなるか。

心の傾向を、アンケートや症状で、
間接的に知ることになります。

つまり、心の外側にしか、
目を向けられないのです。

咳が出てるから、風邪ですね。
みたいな感じです。

なんで咳が出るの?
どうしたら出なくなるの?

この部分に答えが出ない。

それが、どうにも当時の
私には合わなかったんです。

で、内側を見るとなると、

脳の神経回路の動きを見る

ということになる。

私も例に漏れず、
脳科学に興味を持ちました。

でも、やっぱりなんか違う。

なにが違うんだろうなー

ずっと考えてきました。

そして、答えが出ました。

内側の意味が違うんですね。
体内って意味じゃない。

「感じる」ってことです。

心は、実体を持ちません。

そもそも感覚世界の出来事です。

それを物質世界から見ても、
それは私の求めるものではなかった。

だから、感覚世界自体を、
主観的に科学することにしました。

そして生まれたのがrefです。

心の、感覚世界の解剖を試みました。
実験体は、もちろん自分。

学会の後ろ盾もない、
業界すら確立していない

そんなものを仕事にするなんて、
狂気の沙汰のような賭けでしたが、

結果として、
どうやら上手くいっているようです。

refで立てられた仮説たちは、

きっちりとクライアントさん達によって
個人によらず普遍性を持っていることが
1つ1つ分かっていきました。

主観と主観と主観と、、、、
そして結果としての客観性です。

感覚世界だからといって、

その世界自体が感覚的に
成り立っているわけではありません。

むしろ、心の世界は
めちゃくちゃ合理的です。

1つ1つの感情の仕組みが、
完璧に合理的な条件下で発生します。

その鍵となる概念が、
「二極の発見」でした。

人によって二極自体が違う。
つまり価値観が違う。

だから、心には法則性が
ないように感じるんですね。

その上、さまざまな環境が
相互に影響し合っているため、

仕組み・法則性の抽出が難しい。

でもそれ自体は、
物質世界でも一緒です。

千里の道も1歩から。
そうやって、気象科学も、物理学も、
全ての科学が発達してきました。

だから、感覚世界でも、
同じことができます。

皆が皆、感覚として同意できること。
それが、心の世界の証明。

refは、心の世界を解剖します。
だからrefは、解剖心理学なのです。

解剖し、仕組みを知ることで、

今までは不合理で気分屋としか
思うことのできなかった

自分の心が、頭なんかじゃ
想像もできないほどに

合理的に、そして精緻に
働いていたことに気づきます。

そして、その法則性に従って、
自分の中の認識を紐解いていく。

すると、

今までどうしようもなく
嫌だった出来事や、

傷ついてしまった出来事が

一切傷つかなくなる。
まったく嫌ではなくなる。

すると、過去の解釈も変わる。

やっと自分の人生の全てを、

貴重な思い出の1つ1つとして、
感じることができるようになる。

こうやって、人生がどんどんと
穏やかで濃密なものに変わる。

過去・今・未来

これらが全て同時に、
変わっていくんですね。

そして気づいたら

どうやら幸せに最も近い世界に、
足を踏み入れている。

それは、幸せもまた感じるという
心の世界のものだからです。

これこそ、

自分が探してやまなかった、
私にとっての本当の心理学でした。

学ぶための学びではなく、
人生自体を良くするための、

手段としての学びです。

だから、refは実践主義で、
目的志向です。

でも、学ぶこと自体が
自分を知ることなので、

それだけで楽しいんですけどね。

と、いうことで、本日も
変わらずref三昧なJayでした。

今日は以上です。
それではまた!

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