普通ってなに?
こんにちは、Jayです。
今日は前回に続き「普通」の話をします。
「普通」ということを意識する人はとても多いです。
「普通だと安心できる」
「普通じゃつまらない」
さまざまな形で、人の心の「在り様」と
「普通さ」は関連します。
でもその「普通」について、
深く考えることは少ないかもしれません。
ということで、今日は「普通」について
ちょっと深掘りしてみようと思います。
「普通」の意味
世の中で「普通」という言葉に集約される意味って、
大きく分類すると「4種類」もあります。
4つもの意味が、「普通」の1単語に
収まってしまっているわけです。
一方で、英語だとこのニュアンスが、
結構丁寧に分かれています。
あなたは「普通」と聞いて、
どんな英語を思い浮かべますか?
おそらくほとんどの人が、
「ノーマル」
と答えるのではないでしょうか。
その通り、日本語の「普通」の
最も直接的な英訳は「Normal」です。
ですが、Normal自体が持つ意味は、
日本語の普通の中の多くて2つ、
基本的には1つの意味しか持ちません。
英語だと、Normal以外の単語を用いて、
「普通」の他3つの意味を補完します。
今日は「普通」をより深く理解するために、
英語と対比して意味を分解していきます。
4つの「普通」
「普通」に含まるニュアンスは、
具体的には以下の4種類です。
・Normal(ノーマル)
・General(ジェネラル)
・Usual(ユージュアル)
・Neutral(ニュートラル)
これらについて、順番に意味の差異を
見て感じていきましょう。
1. Normal(ノーマル)
1つめは、普通ど真ん中の意味からいきましょう。
Normalは直訳すると「正常」という意味です。
「正しく、常であること」
これがど真ん中の意味です。
普通とは、「普く通じる」と書きます。
読みは「あまねくつうじる」です。
これはざっくり言うと、
いつでもどこでも通用する
という意味です。
さらに言い換えると、
「常にその通り」ということです。
要するにこれって「法則・理」のことです。
突き詰めると「普通」って法則のことなんですね。
ですが、ちょっと「普通(Normal)」と
「法則」や「理」って、遠く感じませんか。
実際に、Normalは法則を意味しません。
ではなにを意味するかというと「想定」です。
Normalとは、直訳すると正常ですが、
それは「想定通り」という意味です。
あくまでも「私の想定」にとって、
「常に一致がある」ということですね。
英語では「As Expected」です。
英英辞典でも、実際にその記載があります。
「私の想定が法則を捉えるのなら、
常にその通りになるはず」
この辺りの人間の認識・思惑が、
「正常」と「想定通り」という2つの意味合いが、
単語として重なってくる要因になってきます。
2. General(ジェネラル)
2つ目のニュアンスは「ジェネラル」です。
日本語での意味は「一般的」です。
一般的である、つまり大衆的であること。
この意味として「普通」と用いる方は
とても多いのではないでしょうか。
ですが、一般的であることと、
「法則」は必ずしも一致しません。
例えば中世のヨーロッパでは、
「天動説」が一般的な考え方でした。
ところが、科学の発展とともに、
「地動説」が大勢を占めるようになり、
今では世界中の一般的な考え方は、
「地動説」が占めているでしょう。
もしも「天動説」が「正常」な考え方、
つまり「正しい」学説だったのなら、
説は時代と共に変わらないはずですね。
要するに「一般 ≠ 正しい」と言うことです。
事実関係は、事実関係として
「常」に「正しい(成立する)」ことが、
正常ということです。
これを、世間一般の「誰しも」と話をし、
「皆がそう言っているから」という
「常なる一致(正しさ)」から判断すると、
集団で誤認をすることがあるので要注意です。
3. Usual(ユージュアル)
次にみていくニュアンスは「ユージュアル」です。
これは日本語に訳し直すと「普段」になります。
普段・日常という意味です。
ジェネラルが「世間・社会的」にみて
一般的であることを指すのに対し、
ユージュアルは「主観・個人的」にみて
一般的であることを指します。
主観的に日常であることが、
必ずしも法則とは限らない。
これは言うまでもないことですね。
ですが、実際に自分を振り返ってみると、
私の常識を世間・世界の常識と捉える
そんなことは誰しも思い当たる節が
あるのではないでしょうか。
私の常識を疑ってみることが、
「本当の普通」との出会いの
きっかけになるかもしれません。
4. Neutral(ニュートラル)
最後のニュアンスは「ニュートラル」です。
意味としては「中立・中庸」となります。
異常ではない、逸脱がない
ということですね。
ピラティスでは、「ニュートラル・ポジション」
という考え方があります。
そして、これをわざわざ練習します。
わざわざ練習することが、
一般的・日常的であるはずがありません。
また「法則・理」なのであれば、
外れることができないのが法則ですから、
やはり練習する必要はありません。
つまり、ニュートラルであることと、
法則であることは違う、ということですね。
ですが、ニュートラルというニュアンスも、
「普通」という言葉に結構含まれたりします。
人々を惹きつける「普通」
このようにさまざまな意味合いが
「普通」という単語に集約されるのは、
それだけ様々な人が、様々なアプローチで、
「正常」つまり「法則」に辿り着こうとするからです。
人は無意識に、法則・理を求めているのですね。
ですが、別々の意味合いを1単語に収めてしまうと、
自分自身を混乱する要因になります。
私が私としてモノを認識するときには、
「今の普通はどの普通?」という観点を持つと、
自分の認識を正しく捉えることができますよ。
自分が自分自身に気がつくことを、
「自覚」と言います。
自覚力があがってくると、
物事が「想定通り」になってきて、
「事を成す力」がついてきます。
自覚力が上がることが、
万能の能力アップにつながるわけです。
ところが、今日の「普通」をはじめとして、
全く別々の意味合いを同じ言葉で表現することを、
私たちは多くの場面で行なっています。
これは多種多様な人と関わるときには便利ですが、
自分自身と関わるときには裏目に出ます。
ぜひ、このあたりの塩梅に自在になっていき、
社会的な関わりと自覚の両立を図っていきましょう。
このように「普通」という言葉には、
あらゆるテーマが内包されます。
これで1冊の本が書けるくらい
奥深い言葉ということですね。
今回の記事でも、なかなかに広範囲のテーマが
1記事として含有されてしまいました。
どこかで記事自体を分けても良いかもしれませんが、
今日の記事は、深く理解するというよりは、
ざっと読んでインスピレーションを持ってもらう
そんな読み方で読んでもらえると、
役立つこともあるのかなと思います。
そんな個人的な感想を書きつつ。
今日は以上です!
それではまた。