新時代の幕開け
浜辺で波を見ていて、思うこと。
1つの波が寄せては消え、また次の波が来る。
現れては消え、次に取って代わられる。
時代についても、同じことが言えます。
「時代の波」です。
時代の波には様々なモノがあります。
地球の自転が一周する1日、
公転する1年という自然現象、
約20年に1度景気の循環を起こす、
クズネッツの波…
周期も影響もさまざまです。
私たちは、この無数の周期の重なりの中で生活しているのです。
波を知り、感じる人は、その波に翻弄されず生活を共にすることができます。
そして今、1つの時代の波が、
とって変わろうとしています。
それは「800年周期の波」です。
長すぎて、ほとんどの人にとっては無関係の波ですが、私たちは何がしかの縁によってその節目を生きる時代に産み落とされました。
この2020年は、一説には波と波のちょうど節目の年と言われています。
前回の波の変わり目は、大体1200年。
日本で言えば、精神性を重んじる貴族中心の平安の世が終わり、武力で勢力を塗り替える鎌倉時代に突入する時代。
世界的に見ると、世界最大の仏教大学と言われたナーランダ僧院が他勢力の武力行使によって破壊されました。
なぜ、800年の周期が存在するのかは分かりません。
私は何らかの天体周期が関連した重力バランスの変化が関係していると考えていますが、もしかしたら地球自体の周期性だったり、何か全く別の物かもしれません。
しかし今大切なのは、
波が「なぜ」発生するのか
ではなく、
波が「何を」もたらすのか
です。
時代を延長線的に考えると、
テクノロジーの進化がさらに飛躍し、
AIによるシンギュラリティの実現、IoTの普及、リニアに代表される移動手段のさらなる高速化など、利便化の一途が続くように思えます。
しかし私の予想では、
これは新時代の本質ではありません。
これら科学がもたらす恩恵は、「今までの波」の中で起こった事象だからです。
科学がなくなるワケではないです。
しかし、主役は取って変わられるでしょう。
利便化が究極まで進むと、人々は1つの疑問に気づかざるを得ません。
「便利の先に私たちは果たして幸せを実現できたのか?」
という疑問です。
この機運は、少し前から高まって来ました。
そして、今猛威を振るう新型コロナ・ウィルスの蔓延によって、疑問を感じる人々の総数が閾値を超えようとしています。
在宅ワークに移行した多くのサラリーマンは感じるはずです。
「こんなに会社に行く必要があるのか?」
環境の劇的な変化は今までの「当たり前」を否応無く崩します。
それは、井戸の中のカエルが初めて大海を見た心情と同じものです。
今感じる、社会への疑問は新しい時代を創り出す上でのキーワードになるかもしれません。
あなたの中の素直な疑問を、
ぜひ大切にしてください。
そしてできるなら、勇気を出して
他の人と意見を交わしてみてください。
これから先の主役は、「ココロ」です。
過去800年間主役だったのは、誰にでも普遍的に提供される「カタチ」でした。
個人的な確信では無意味、全て証拠に基づいて確かなモノを築く科学が栄華を極める時代でした。
「客観性」がモノを言う社会でした。
しかしこれからは、個々の心に基づく
「主観性」がモノをいう時代になります。
「主体性」と言っても良いでしょう。
全体世界の確立ではなく、個々1人1人、
「あなた」の世界の確立
が求められる時代です。
やまない雨がないように、いつ終わるとも知れぬ新型コロナ・ウィルスの脅威も、いずれはピークを超えるでしょう。
しかし、そのピーク超えには、「誰かが変えてくれる」という客体に依存する意識が、「私が変わる」という主体に軸をおいた意識に取って代わる必要があります。
そしてその個々人の意識の変化が、「主体性」を持った人々によって創り出される新時代幕開けの合図と役割を共にするのです。
もう、時代は元には戻りません。
危機が去った後に訪れているのは、過去の波ではなく、全く新しい波です。
その時、この「新型コロナ・ウィルス」という縁を受けて「私はどうするのか」という「主観」を覚醒させた人々は、波と方向性を共にすることができます。
しかし、旧体質を変えられなかった人にとっては、新しい時代は非常に苦痛を伴うものになるでしょう。
ぜひ、しっかりと「今」にアンテナを張り、結果的に来る新時代にベクトルを合わせておきましょうね。
今日はここまでです。
それではまた!