価値観よりも重要なもの

フリートーク

from.

こんにちは、Jayです。

最近ブログの更新をできていません。

記事を楽しみにしてくださっている方、
申し訳ありません。

久々に「これは記事にしたいな」と
思える内容に出会ったので、

さっそく書きたいと思います。

人は皆それぞれ、
多種多様な価値観に従って生きています。

価値観をもっていない人は、
まずいません。文字通り0人です。

価値観に自覚的であるか、
無自覚であるかについては、

個人差があると思います。

それでも、人は毎日、そして一生
「選択」を繰り返して生きていきます。

その時の「ものさし」として
利用されるのが「価値観」です。

「なんとなく」で選択しようと、
「これにしよう」と選択をしようと、

人はこの「価値観」に左右されます。

ですから価値観が変われば選択が変わり、
ひいては人生そのものが変わります。

ということで、
「価値観はメチャクチャ重要」なワケです。

そして今日は、
そのメチャクチャ重要な価値観よりも、

「さらに重要なもの」

についてお話をしたいと思います。

それは「世界観」です。

さて、「世界観」とは何でしょうか。

それは、

「この世界はどういうものであるか?」

という類の、

あなたの世界の「設定」です。

例えばの1例として、

「死後の世界は存在するか?」
「過去世・来世は存在するか?」

これは「世界観」にあたります。

「え、それって価値観じゃないの?」

と思う方もいるでしょう。

しかし、ここはあえて言いますが、
「価値観」と「世界観」は別物です。

もう少し厳密にいうと、
「別物にした方が良い」です。

なぜか?

それは、世界観というものが、

「価値観によらずあなたの選択を変えてしまうから」

です。

当たり前の話をしましょう。

例えばある高校生2年生の生徒が、
大学受験の勉強に励んでいる

というケースを考えてみます。

友達との遊び時間も削り、
大好きなテレビの時間も削り、

1日に8時間くらいは勉強している
ということにしてみましょう。

そしてここで「問い」を立ててみます。

そもそも彼は、
なぜ大学受験の勉強をするのでしょうか?

それは、

「将来公務員になって安定した人生を送りたい」

からかもしれませんし、

「大学にいって好きな分野を研究したい」

かもしれません。

これらは、先ほどの話にも出てきた、
「価値観」によって変わってきます。

本人の価値観だけではなく、親や友人の
価値観にも左右されることもありますね。

「親が医者で、将来の備えに厳しい」

だったり、

「大好きな友達が大学を目指している」

だったりという「他人の価値観」も、
時として選択には影響します。

しかし、これらも実は本人の中に

「親の言うことを聞く」という価値観や、
「友達と一緒にいたい」という価値観、

そういう「他人の価値観」に影響を受ける
「価値観」が存在するからこその選択であり、

つまり本人の「価値観」が、
その選択を決めていると言えます。

しかし、この当たり前のようなケースに

実は完全に見落とされている
「世界観」が存在しています。

それは、

「高校生活が終わっても、自分の人生は続く」

という「世界の前提的な設定」です。

もしも。

「人の人生は高校生で終わり」

ということが決定されている世界、
そんなものがあるとしましょう。

そうすると本人は、どれだけ大学受験をしても
「大学に行く」ということは不可能ですね。

もしそうであれば、

本人にとってどれだけ「勉学が大事」でも、
「親の言うことを聞くことが大事」でも、

果たして大学受験の勉強をするでしょうか?

「人の人生が高校生活で終わり」だと、
大学そのものが存在しないでしょうね。

でも、もしも本人が、

「自分は高校生で死ぬ」と信じ込んでいたら。

きっとその時も、本人の価値観によらず、
大学受験の勉強はしないことになります。

なぜなら彼にとって、
「大学というところは死後の世界」だからです。

伝わるでしょうか?

本人の「価値観」によらず、
「世界観」というものによっても、

本人の人生の選択は変わってくる
可能性があるのです。

普段は見落としがちな「世界観」について、

「自分の世界観ってなんだろう」

と自問してみると、

あなたが無意識に行なっている選択が、
見直しできるかもしれませんよ。

今日は以上です。
それではまた!

実はこの後にこの2倍くらい記事を書いていたのですが、長すぎるのでやめました。笑
機会があったらまた書こうと思います。

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